歩くこと
風薫る五月。近所のミカンの花も咲き始めました。
いい香り。バラやジャスミンも花盛り、終わりかけだけど藤やハリエンジュ(ニセアカシア)なども散歩時間に鼻腔をくすぐってくる、気持ちのいい季節です。
さて、ここ半年ほど、30年以上前に故障していた足首の不具合がまた復活していました。アスリート時代、試合を断念せざるを得なかった怪我で、当時は半年以上まともに歩けず、整形外科に通っても一向に治る見込みもなく途方にくれていましたが、鍼灸師の叔父の治療で見事に回復しました。今となってはこの出来事が、私のホリスティック医学への興味の扉を開けた出来事なのですが。
もとい、最近の私の足首は、炎症があって、ぷっくりと腫れた状態が続いていました。だからと言って、歩けないわけでも、エアロのレッスンができないわけでも、ヨガができないわけでもなく、全身のバランスが整えばそのうち回復するだろうな、くらいの気持ちで観察を続けていました。得意の人体実験というやつです。
そして、ふとフィットネスを推し進める立場で、私が提供したいことは何なのだろうと熟考したときに、そうだ、死ぬまで自力で歩ける体じゃないのか?と改めて気づきました。
ヨガだのコアトレだのストレッチだの、自身もクライアントさんも様々な痛みや不具合を自身で回復していく症例を見て忘れかけていたことなのかもしれません。
コロナ禍、元来抱えている整形外科的な不具合があるために、ますます外に出歩く機会が減ってしまった方も担当させていただいて、この一年の自粛生活による運動不足で、かなり危ない状態になっていることを危惧しています。転んだわけでもないのに大腿骨を骨折してしまったケースや、1歩も歩けなくなってしまうのでは?という状態の方も目の当たりにしてきました。フレイルが進んでいるのはご高齢の方だけじゃなく、40代でも50代でもかなり深刻です。
70代、80代の方は、自宅でしょっちゅう転倒しています。自分がかけている布団に足を取られて、ペットに驚いて、電話に出ようとして、といった調子ですから、街中に出たら、近くを人が遮るだけでもドキドキです。
「自分の力で、ある場所から別の場所へ移動する能力ほど、よりクオリティ・オブ・ライフを感じさせ、自立レベルを獲得しうる典型的なものはない。われわれは子供のこの能力の発達を祝い、一生を通じてそれを養い、維持しようとする」Patla.1995
歩行の分析は紀元前、アリストテレスの時代から行われてきました。現在でも歩行に関する書籍は数知れず、それも例えば脳性麻痺児や疾患により片麻痺になってしまった方の研究からの観点、あるいは某自動車メーカー開発のロボットの観点など、多岐に渡ります。
自分のからだをより健やかな状態に導くため、体の土台となる足の形や、それを使いこなす機能、只今人体実験を兼ねてディープに検証中です。お蔭さまで、「歩く」こと、そして「走る」ことを通じて、足首の腫れは引き、それに伴う骨格や筋肉の不均衡も整いつつあるこの頃。
痛くて歩けないのに、骨格のバランスを崩したままで無理して歩くことはお勧めできません。そして健康だと思っている方も、長時間(人によって概念は違いますが)の歩行で関節に炎症が起こることも、ミスアライメント、代償運動の結果でしょう。
ヨガやコアトレで体を整え、歩くほどに整うからだ、こんなことをさらに皆さんに普及出来たら嬉しいです。精進しまーす!(←私の場合、楽しくてしょうがないこと・笑)
僭越ですが、宣伝です!トトラボの志緒先生よりお声かけいただき、全6回で機能解剖学の講座をさせてもらうことになりました。プロ、アマ問わずに、体の構造、使い方を機能的に理解したい方、お待ちしております!
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